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母の認知症から思うこと。面倒でも料理を作る



 

 

鍋で料理をするイメージ画像

母の認知症症状

母は70歳ころには認知症の症状が現れました。

同じ話を何度もする。

私は「その話、前にも聞いたよ?」くらいのイメージでした。

私の母が同じ話を何度もするとは、話しを始めて結んだあと、同じ話のはじめに戻ると言う「同じ話を何度もする」です。

この症状が出たとき、一瞬冗談なのかな?と思うほどに綺麗に全く同じことを二度話したのです。

何度も何度も話して癖がついたのかもしれません。

母と料理

母は料理上手でした。毎日美味しいご飯を作ってくれていました。

それと同時に変わったものも好きでした。(私も同じく変わったものを食べたがる笑)

ある日、お昼ご飯用にと(その時は私と母の二人だった)レバ刺しを買ってきました!

今から35年くらい前のことです。

牛の肝臓を生で食べるなんて考えたことなかったから、珍しくて母と二人で堪能しました。

ただ、ごま油と塩で食べることを知らず、刺身しょうゆでいただきました(笑)しょうゆでも美味しかった!

私たち子らが結婚し家を出た後も、実家に遊びに行くとたくさんの料理を作ってくれていましたが、だんだんお寿司などを買って用意してくれることが多くなりました。

母は料理を作らなくなっていったようです。

父の治療中

父が抗がん剤治療のため入院しているとき、母の様子を見に行っていました。

母は私たちが来ると、ご飯を振る舞ってくれようとするのですが、料理をしなくなり認知症が進み、料理の手順が分からなくなっていました。

母の食事はお弁当を頼んでいたし、冷蔵庫には父が入院前に買い置きした食材が入っていたから、ある時一緒に味噌汁を作ることにしました。

味噌汁の作り方がわからない

何をすればいいか分からず戸惑っている様子の母に、材料を渡して「銀杏切りにして」と伝えれば理解しちゃんと銀杏切りにしてくれるのです。

だけど、やたらと塩を入れるのかと聞いてくるので、塩はいらないよと何度も伝えることになりました。ちょっと面白かったです。

鍋に湯を沸かしても塩を入れないのか気にして、私にいらないと言われ、塩を入れないことが不思議で仕方なかったみたいです。

心配ごと

言ったことは忘れなければ素直に聞いてくれるので、困った事態にはならなかったことは安心できました。

一人で外に出ることはなかったので、外での危険はありませんでしたが、火事は心配でした。

それまでの灯油ストーブから電気のヒーターに買い換えて、これで安心と思っていたら、ある寒い日に私の携帯電話に母が電話をかけてきました。

ブレーカーが落ちて真っ暗だと不安そうに訴えてきたのです。

冬で寒くて暗いなんて不安だったろうな。

私は犬の散歩中だったのですが、大きな声でブレーカーの場所を伝えて、無事、電気を復活させることができたから良かった。大声出してたから恥ずかしかったけど笑

何度も上げていたブレーカーの位置を忘れていたけど、母が私の携帯番号メモを見つけて暗い中、電話をかけることができて、なんだろう、心配と安心と感動となんだか色々混ざった不思議な気持ちになったことを思い出します。

あの頃はまだ、話してくれてたんですよね。

今の母は、話すことはあまり無いんです。

父とは話していたけど、父の病状が悪くなると父と話すことが減ったこと、父が母をみれなくなるからと母が施設に入ったことで、父以外と話さなくなっていた母はどんどん無口になっていきました。私たちにもです。

脳を使う

何十年も美味しい料理を作ってくれていた母が、味噌汁の作り方を忘れたことに驚きました。

もしかすると母は料理上手ではあったけれど、料理するのは嫌いだったのかもしれないです。

私はそれほど料理上手でなく、それほど料理を作るのも好きでは無いです。

だけど、料理って材料を揃えて、下ごしらえ、調理と、色々考えてする作業なんですよね。

脳は使わないと鈍る気がするから、得意ではないけど料理は作り続けようと思います。

他に何か脳を使うことがあるならいいのですが、趣味が少ないコミュ障気味のインドア派なので努力が必要だろうなと。

キャッシュレス時代

今はキャッシュレス決済が主流で、私も現金を使う機会はめっきり減りました。

そういえば現金で払うにも頭を使ってたなって思い出しました。

例えば637円の支払いに、1142円出して、505円お釣りを貰う。というような計算をレジ前でしていたのは頭を使っていましたよね。

私は小銭が増えすぎないように、お金を払っていましたが、母は逆に小銭が必要だからと(昔の人だから)お釣りで小銭を貯める癖があり、お財布はいつもパンパンでした。

元々がそうだったので、認知症でますます小銭を出さなくなり、お財布が小銭で丸々していたから一緒に買い物に行った時はジャラジャラと小銭で支払いさせてもらったりしていました。

支払いの計算をしなくなり、便利になったけど計算の機会も減ったんだと思うと良いことばかりではないかもしれません。

それが普通になって、他のことで脳を使えばいいのかな?

時代は進んでいるのだから、頑張ってついていくことが脳トレになるはず!