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夫の(意味不明な)物欲の歴史と逆算して終活することについて



 

 


物欲について

物が欲しいという気持ちは悪くないと思っています。

私は物が増え管理できない量を持つことでイライラすることが嫌なだけで、必要な物は買って便利に暮らし、心が豊かになる物を我慢することはないって思ってる。

片付け始めたときは、捨てるという行動に対して罪悪感を抱き、どうせ捨てるのに買うなんて!と買うことに躊躇していた時期がありましたが、働き収入を得ても我慢して節約して生活することが幸福だと思えない。何のために生きてるの?という考えに変わっています。

通帳の数字が増えることに喜びはありますが「1円でも安く・不要なものは一切買わない」というような節約は楽しめないタイプです。

そうは言っても、使わない物・持っていて幸せを感じない物などネガティブな感情になるという物もありますから、そういう物は家に入れたくない。この辺の見極めが難しく、今も苦しんで捨てることはあります。「なんでこんなものを買ったんだろう…」って落ち込みながら。

夫の(意味不明な)物欲

我が夫は小物好きです。雑貨店など私より入りたがるw

夫の意味不明な物欲によって購入されたものたち

突然筆ペンを欲しがり(私は呉竹の筆ペンが安くて書きやすくて一番良いと思っているけど)桐箱入りの筆ペンを買い、文字を書いて満足していました(現在は飽きた模様)

ハンドスピナーが流行っているから買う、水晶は浄化作用があるらしい、ルーペを首から下げたいなどと言って買ったものたち(一つ用途不明な物ありw)

今では全て引出しに収められています。

それでも使って一時期でも楽しんだならそれはそれでいいじゃない。って考えられるようになり、私も心穏やかに過ごせています。

恐ろしく高価な物を大量に買うわけではないから、心穏やかでいられるのですが。

片付けに対する夫の反応とその変化

夫は以前、私の物を捨てる様を見て「引いて」いました。

自分の物を捨てろと言われるのはストレスだ、と言わたこともある。

片付けについて調べると、家族の物は勝手に捨てない・家族に捨てることを強要しない。とあり、気を付けていたのですが、物が減ったことによる暮らしやすさを実感すると、いいことは夫と共有しようって思ってしまい、つい「捨てるといいよ。捨てれば?」と言ってしまい、ストレスを与えてしまったようです。

今では、義実家の物の多さを見たこと、義父と話して「義父の時間のとらえ方」の差を肌で感じ、捨てることに前ほど嫌なイメージを持っていないように見えます。

「義父の時間のとらえ方」の差とは?
現在79歳の義父が元気に行動できる年齢を85歳に仮定し逆算して、お金の使い方・暮らし方をしていないことに「時間のとらえ方」の差を感じたようです。
今ある物(その時はタオルの話だったと記憶)が古いけど、すぐには買い替えない。というような発言に対して、使う時間は限られているのだから、後回しにせずに買わなければ使えなくなる。というような会話をしていました。(ボロボロのカビが生えたようなタオルを使い続け、何年か後に新しいタオルを買うのでしょうか…)

逆算して終活

人間どうしたっていつかは死にます。

考えたくないし、もしかするとものすごーく長生きしているかもしれません。

が、長生きにも限界があり、健康でいられる時間だって予想することはできる。

現在55歳の夫が健康で暮らしていけるのは30年くらい?

自動車を運転することが好きな夫だけど、安全に運転できるのは80歳くらいだろうから、5年~10年後に軽自動車に買い替えよう。

役職定年まであと数年、60歳まで5年、65歳まで働けたとしてあと10年。住宅ローンは繰り上げ返済しても水回りのリフォームが必要。

私が楽しんで料理を作るのは最長30年だろうから、遅くとも5年後に台所をリフォームしたい。

重い粗大ゴミ(箪笥)を収集場に持って行くには60歳か65歳までしか出来ない、それまでに箪笥を捨てよう。

出来るうちに出来ることをする。

私の場合、何歳までなら出来るかを考えてザックリとでも計画を立てておくことは、漠然とした不安を感じずに済む良い方法です。




お読みいただきありがとうございました!


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