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友だちとはその時々で人生が重なった人たちとの交流



 

友だちに対する重い思い

学生時代の友だちは一生の宝って思っていました。

遠くに住んでも、一時離れても、交流を断つようなことは無いだろうって。

友だちと疎遠になるなんてことは「あってはならない」って思い込んでいたから、キツイことを言うけど力になりたいと思って私なりに悩みを聞いていました。

悩みを聞くだけでも、すごくきつくてストレスで円形脱毛してしまったけど、少し離れたりしながらも「数少ない友だち」を大事にしたい、一生友だちでいたいって思ってた。

思えば、就職先・再就職先・数々のパート先・ペット関係・ご近所さんと、その時々でランチをしたり買い物に行くなど、仲良くできる気の合う人がいました。

そんな方たちとしばらく交流するけど、長く付き合いが続く人もいれば自然に離れることもある。

それを繰り返すうち、付き合いの長い学生時代からの友だちだけは変わらず仲がいい(と思っていた)ことから、昔からの友だちは大切だと執着してたのだと思います。

知らない人とすぐに仲良くなれる性格ではなく、しかも変化が苦手。友だち出来る気がしないから今の友だちを手放さないようにしようって。なんだか傲慢な考えです。

「数少ない友だちを大切にする」ことに執着しすぎて、相手にも嫌な思いをさせているのかもしれません。

「数少ない友だち」がいるからと、人間関係の構築をサボっていたんだなぁって最近は思っています。

分散されないから重いですよね。きっと。

家族構成の違い

わが家には子がおりませんので、子育てのことは分からない。もっというと学費という支出が無いことを話題に出されることがありました。

お子さんがいると習い事など支出があることは想像できますが、実際経験していないので私には分からないことだけど、

なんというか家計のことに踏み込まれたという印象を持ち、モヤモヤザワザワ落ち着かない気持ち?上手く表現できなくてごめんなさい。

家庭それぞれの形がありますから、話題が合わないことはある。価値観が違ってくるのは当然なのでしょう。

子育て真っただ中な人と、私のような終活に向かって準備はじめちゃう人では話が合うはずないですね笑

一人が好きなことを認める

私は一人でいることが好きで家が好きで、これからも家族でいる夫を大切にしたいと思っているのだから、家族構成や考えが違ってきたなら少し離れることも必要なのではないかと思うようになりました。

学生時代に一緒にいて楽しかった。それは事実です。

そして、その楽しかった思い出を元に関係を継続していた。昔とは環境が変わり、そのギャップで理解が及ばないことは起こりうるのだから、「今」は以前のような関係ではないのだなって、ありのまま受け取りたい。

友だちがいないなんて恥ずかしいとか、趣味がないなんて寂しいとか、親が苦手とか、きょうだいと気が合わないとか。

世間一般の価値観から外れたくないという思いを、自分を苦しめるだけなのに捨てきれなかった。

ブログ

情報におどらされたくないから入る情報を制限してるので「情報発信」ができる訳じゃない。

家事が楽に好きになった「片付け」については、ただただ自分が言いたいw

天パに生まれて嫌な思いをしたって愚痴、天パ受け入れたら生きやすいよってことは発信したい。

今までウスボンヤリあまり考えずに過ごしてきた、人付き合いのこと・自分のことを認めること。
わざわざ苦しまなくていいじゃないって、気持ちを整理していくために、文章下手で時間かかるけどブログ書いてますw

無職になってボンヤリ過ごすと認知症になるんじゃないかって夫が心配して(なのか家計のためにか)「働いたら?」と、言われるけど…

ブログでメッチャ忙しいから!
(もう趣味と言っていいのでは?wでも匿名ブログだから人には言えない趣味なのよね…)

ブログ書いてなかったら、自分のことも人間関係のことも頭の中でぐるぐる考えるだけで、疲れるだけ。何も進まない。

でも、パソコンぽちぽち打って公開すると、スッキリするというか消化されるというか脳みそデトックスしてるというかw

まだまだ未熟で読者さんには読みにくいブログだと思うけど、言語化するって楽しいしストレス解消になるみたい。

友だちに話を聞いてもらってスッキリするのと同じ効果があるのかもしれません。



お読みいただきありがとうございました。


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