いただき物のティーカップ
ずいぶん前にいただいたティーカップ。
私は本当にブランドにうといので、しばらく経ってから教えてもらったティーカップ。
知らなければノベルティのマグカップと同じ感覚で処分していただろうに、知ってしまったものだから勿体ない?って気持ちが芽生えた。
来客は多くないからただでさえ出番がないのに、あまり好きではない+紅茶よりコーヒーを出すことが多く使い道が少ない。
しかも、気にいっている波佐見の食器はコーヒーでも紅茶でも使えそうなデザイン。
丁度いい大きさでカワイイ。
私はふるさと納税でいただいたので、お得感と使いやすさと好みのデザインで大満足。
お気に入りの食器は食器棚に置いてあるだけで嬉しいのです。
自分の無知を思い出す
いただき物のティーカップは、使いにくいことと同時に「好きじゃない」
この「好きじゃない」部分に、自分の無知だったことを思い出すから好きじゃないってことに最近気づきました。
ロイヤル・コペンハーゲンのティーカップを頂いたときに気づかなかったものですから、見合っていないお返しをしてしまった。
しばらく経ってからブランド食器だと気づいたけど、もう遅いし、なんだか申し訳ない気持ちと無知を晒して恥ずかしい気持ちが合わさって、物に思いが乗っかってしまった。しかも負の感情。
もう仕方ないのだから、すっぱり忘れてしまえばいいのに「良いものらしいから勿体ない」といつまでも負の感情が乗っかった物を食器棚に入れて、目にするたびに複雑な気持ちになる。
そんなことを繰り返していましたが、もうそろそろ自分を解放してあげようと思います。
使ってくれる人を見つけたほうがいいのではないかと思ったけど、何度か使った食器だし、譲った先で「何か思いが乗っかった食器」になってはいけないから、ゴミに出すことにしました。
食器は好きとか嬉しいとか、正の感情を抱くものを持ちたいのです。
お読みいただきありがとうございました!
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