当ブログではアフィリエイト・Google AdSenseによる広告を掲載しています。
リンク先にはプロモーションを含む場合があります。
編集

死生観がきょうだいで違ったこと

 


今夏、認知症で寝たきりだった母が亡くなりました。

コロナ罹患から食べられなくなり、そろそろ覚悟をしなければいけないなと思い始めたころ、きょうだい間での死生観の違いから「母の死」をどうするかという嫌な話し合いをすることになりました。

延命治療をめぐる家族の葛藤

食事ができなくなった母

認知症で介護度が重く、母は寝たきりで全介助が必要でした。

施設に入所して10年。食事は初め固形食でしたが、とろみをつけた刻み食、ミキサー食へと進んでいきました。

昨年コロナで入院し、一時持ち直したものの、入院中食事が摂れなくなっており必要なカロリーが摂取できないため医師からは、大きな静脈からの点滴か胃ろうが必要だと言われました。 

しかし、私たちは以前、延命措置はしないと家族で話し合い、確認していました。

口から食事ができなくなったら、自然に任せるという選択です。

この選択をすると、母は長く生きられないかもしれないと思い、後悔しないために、私は姉と一緒に母に会いに行きました。

その時、一緒に行った姉が「胃ろう」を提案しました。

「今寝たきりなのだから、これ以上QOL(生活の質)は悪くならないだろう」と言うのです。

姉の気持ちと私の気持ち 

 私は、母が元気な頃に「管だらけで生き続けたくはない」というのを聞いていました。

しかし姉は、元気だった頃のその言葉は、今の母の気持ちとは違うのではないかと言うのです。

姉自身も、年を重ねて考えが変わった。病気になっても治療して長く生きたい、と思うようになったと。 

私は、寝たきりの状態が幸せだとは、母は思わないだろうという考えです。

食事を摂れなくなったことが、母にとっての寿命であり、辛い状況から解放されることなのだろうと。

そして、母が元気だった頃に言っていた「管だらけで生き続けたくない」という希望を尊重してあげたいと思っていたのです。

 姉は、私が母に早く死んでほしいと願っているように思っていたようです。話し合いの席でそのように言われました。

しかし、私は口から食べ物を摂取することこそが母自身の生きる意思だと考えていました。

それができなくなったなら、それが寿命だと考えることは、そんなにも非人間的なことなのでしょうか。 

 延命治療をめぐる疑問

姉が延命治療に前向きになった理由を聞くと、「食べられなくなったら状態が急激に悪くなる、せっかくコロナから回復したのに…」と繰り返すばかり。

ケアプランを変えることになるのだから、考えが変わった理由を教えてほしいと伝えました。

そして、「施設費用以上に年金が入る。お金が増えるから、長生きしてほしい」という考えもあるのだろうかと尋ねてみました。

姉はそれを否定せず、「そういう人もいるらしいね」と笑っただけでした。

もしかして、姉は母の延命を金銭的なメリットから考えているのではないか、そんな疑念が頭をよぎりました。 

 納得できない、私の気持ち 

姉の考えと私の考えは違います。

姉が「胃ろう」を望むのなら、それを止めることはできません。

後悔しないために行動したいという気持ちは理解できるからです。

しかし、私の気持ちは「そっとしておいてあげて」というものでした。

胃ろう造設は簡単な手術だと言われますが、85歳で何年も寝たきりの母に、わざわざ病院に移って手術をさせる。

穏やかに過ごしている状況を変えてまで、することなのか。

延命治療は、母の幸せにつながるのか。

私には、ただ苦しみを長引かせるだけのように思えてなりませんでした。 

「いざとなったら人は生きたいと思うはず」

「寝たきりの状態が辛いはずというのは、あなたの感想でしょ」

「胃ろうは治療だから、コロナを治療したのと同じ」

…姉の言葉は、私を煙に巻いているように感じられました。 


母はしっかりした人でした。

仕方ないこととはいえ、寝たきりで排泄も人の手を借りることをよしとする人とは思えなかったのです。

きょうだい全員で話し合いましたが、胃ろうをしたいという姉の意思を無視は出来ません。

しかし、家族全員同じ気持ちではないため、キーパーソン役を担ってくれた兄に施設との協議、手続きを任せることは出来ません。

姉には、自分で施設に問い合わせ動いてほしいことを伝えて話し合いを終えました。

結局、胃ろうについて、胃ろうをするとどうなるか(胃ろう造設後は水さえも口から摂取出来ない。これは施設の方針?)を教えてもらい、胃ろうはしないということになりました。

その後二度入院し、二度目の入院はもう出来ることはないとすぐに退院し、お世話になった施設で最後を迎えました。

最後の日はもう昏睡状態で、目覚めることはありませんでしたが、

今年のはじめに入院し、肺炎も治って退院するとき私の顔を不思議そうに見て「ニッ」と笑った母を覚えてるから、大丈夫なのです。


新しい投稿はありません 前の投稿