当ブログではアフィリエイト・Google AdSenseによる広告を掲載しています。
リンク先にはプロモーションを含む場合があります。
編集

【実家の片付け】片付けを知らない我々、父の病気で急遽実家を片付けた時の話

2023/10/23

 

2023.6.2
3つに分割していた記事を読みにくいかと、まとめてみました。内容は変化ありません。


義実家片付けの第一歩を喜んで、喜びのあまりブログのネタにしたわけですが、

今日は私の実家の片付けはどのようになっているのかということを書いていきたいと思います。

実家はどんな家?

私の実家は小さな4DK。
そこに両親、子供4人と一時期祖父が同居していました。
もともと狭いのに家族が多いので物はとんでもなく多かった!
そこに、捨てない&貰ってくる系の母。
片付いてるハズがない笑

自室などあるはずもなく、私は姉②と同室。

狭い部屋に2段ベットと学習机2台を詰め込んだ部屋で過ごしていました。

私物保管は学習机とその周りのみ。

収納はするけど、ギッチリ詰まっていすぐに物が溢れ出していました。

一言で言うと汚い。

捨てることは悪だと育つ

そんな狭い部屋に、年々増える物を学習机の中や足元に詰め込んでおり、もう入らないとなったところで、やっと古い物を捨てます。
やっと捨てたのに、時々母がゴミとして出した物を救出し返却してきていました。

勿体ない、お金を捨てているような物だ、持っていれば何か役に立つ、と。

無理にでも使って、「ほらね、取っておいて良かったでしょ?」

よく言われていました。

でも、それ無くてもいいよね?
(言えなかったけど

他の部屋は

個人に部屋を割り当てていないので、箪笥部屋がありました。

出入り口は1箇所残し、窓も3/4つぶして箪笥やビニールケースが置いてある部屋です。

押入れの前にもビニールケースが置いてあるので、押入れから物を出す時は手前の物を出して、押入れの中に潜り込んで出さなければいけませんでした。

台所も食器棚の前にケースを置くので、食器棚の下段は使えないし、テーブルの下には梅酒(飲まない。作るだけ)の瓶やストック類。

とにかく隙間に物を詰め込んでいました。

母は捨てない人

戦前生まれで、苦労した母は物を捨てることに抵抗があったのでしょう。

必要ない物を安かったからと買ってきていたけど、物がない時代を知っている年代の人だから、安く買えるときに買っておく。今は必要なくてもいつか使うかも。

そうやってどんどん買ってくるので物は増えるばかりです。

そして、それらを収納する(というか詰め込む)ので、整理することを知らなかったんだろうと、今なら分かるのですが、物は持っているだけでほとんど使っていませんでした。

私は「ウチ、断捨離しました」が好きでよく観ています。
そこで、やましたひでこさんは執着という言葉を使われています。
母は物に執着してしたんだな、と、今なら分かります。

スッキリしたかったんだと気づく

私は物を捨てると怒られるという環境で育ちました。

捨てるという行動が、悪いことをしていると感じてしまい、捨てるということを除外するようになっていました。
こうして片付け方を知らない大人になるんだなーと、結婚してからゴミしか捨てずに過ごし、物の多い家にしてしまっていた私はしみじみ思うのでした。

現在の実家は

父が亡くなった時に兄が相続し、兄が住んでいます。

兄はミニマリスト体質かつ勿体ながり。

買わないのでそこまで増えないけど、勿体ながりなので捨てない人。

兄本人の物は少ないはずだけど、実家にもともとあったものがそのままになっているので気になります。

実家の片付け、亡き父が始めてた

子が全員、実家から出たタイミングで父は自室兼茶の間の片付けをはじめていました。

定年退職して時間ができたこともあり、私物の整理をしたり仏壇を買ったり(この仏壇を兄がどうするつもりなのか怖くて聞けない)、盆栽を育てたりしていました。

姉らが孫を連れてきたり、私が犬を連れてきたりするので物を減らして部屋を広く使えるようにしてくれていました。

そのうち自室だけではなく、物置のようになっていた場所を片付けてたくさんの不用品を捨ててくれていて、今思えば本当に助かります。

ただ、父が捨てているのを見て母は「雑巾にするつもりだったのに」と不満をもらしていました。きっと雑巾になることは無かったと思うけど。

父に病気が見つかった

物はまだまだ多いけど盆正月には狭いながらも家族で集まれていたし、私たち兄弟は片付け苦手な捨てない人たちだったので、両親は元気だし物が多いけど必要な物だろうし、実家とはこんなものだろうと実家の物量を考えることをしていませんでした。わからなかったが正解かな?

なにせ片付けが分かっていないのだから、実家の片付けなんて考えもしなかったんですよね。私たち呑気でしたね。

そうこうしているうちに、父に癌が見つかり闘病生活が始まりました。

母に認知症の症状現る

父の癌が見つかったころすでに、母に認知症の症状が現れていました。

当時60代後半でしたが、話がかみ合わなかったり何度も同じ話をしたりしていましたが、加齢によるものだと信じたかったから、深く考えなかった。

生活ができているなら大丈夫。そう思って現実と向き合いたくない気持ちが大きかった。

しかし、母をサポートしていた父が病気になったので我々も覚悟を決めざるを得ませんでした。

病院で診断してもらい、介護認定を受けました。

認知症は体が元気でも、意思疎通が難しくなると要介護度が高くなるらしく、要介護4でした。

私が物心ついてからの両親は、とても不仲でした。

母は父に直接話しかけることも嫌がっていました。

そんな二人が、実家へ遊びに行くとそこまで不仲に見えなくなっていて、夫(家族以外の人)がいたから取り繕っていたこともあったと思うけれど、

認知症が進んだ母はいろいろなことが分からなくなっていくなか、父だけが頼りだったんだろうな。

両親が暮らしやすくする片付け

父の闘病生活準備として片付けたことは、

父の体調が悪くなっても危険がないように、箪笥部屋から二人暮らしには多すぎる箪笥を二棹処分して、必要なものを取り出しやすくすること。

母に危険が無いように、混乱しないように片付ける。

床に物を置かない、歩くスペースを広くとる。そして、場所はなるべく変えない。

以上を気を付けて片付けていたので、スッキリ片付けることはできませんでしたが、仕方ない。

その後、父が亡くなり、母は一人暮らしできないので施設に入居し、実家には兄が相続して住んでいます。

両親の物をそのままで兄が住みはじめたので、荷物がまだまだ残っているから兄には申し訳ないけど、母が存命な間はそのままにしておくことにしています。

アラフィフ姉妹、植木を切る

兄名義、兄が住む実家ですが、兄はメンテナンスに興味ありません。

実家には本当に小さな庭がついておりまして、そこにはクチナシ、椿、薔薇、金柑など所せましと植物が植わっていました。

本当に狭いのに母は植物を育てるのが上手で、ワサワサモサモサと成長した植物で玄関アプローチが年々せまくなる(笑)

父は病気になり、植物に手をかけられなくなったからと、隣家へ進出しだしたクチナシを切りました。

けれど、隣家へは進出しない場所にあるけど恐ろしく成長した椿のことはそのままでした。

父が他界して数年後、その恐ろしく成長した椿に何かの鳥が巣を作り、伸びすぎて電線にかかりそうになっていた椿を切ることにしました。

アラフィフ姉妹3人で。

ホームセンターで高枝切狭を買い、我が家からキャンプ用に購入したノコギリを持って出陣です。

作業中は怪我しないように、隣家に倒れこまないように必死でしたw

鳥の巣に居住鳥や卵があってはいけないので秋に作業しましたが、暑いし枝はワサワサしてるし本当に大変でした。

ご近所さんは残念がってくれたけど、事故があってからでは遅いですからね。

私たちがもっと年をとったら、あんな危険な作業できません。

兄はいろいろなことに対して「大丈夫、大丈夫」と楽観視する傾向がありますので心配ではありますが、実家の手入れを手伝いつつ、本格的に片付けることになったら兄弟そろって作業することになるでしょう。