父に癌が見つかったとき、父の治療と同時に母の介護申請手続きをすることになりました。
2007年ころだったと思いますが、実家に遊びに行ったとき明らかに母の様子がおかしかったことを今でもよく覚えています。
それより前から話を繰り返すな?とは思っていましたが、その日は特に変で…
同じ話を連続して3回繰り返したのです。
間に違う話を混ぜずに、話が終わったらすぐに同じ話の冒頭に戻る。の繰り返し
今考えれば明らかに認知症の症状なのですが、当時の私は、まだ60代の母が認知症とは信じたくなかったし、父と同居しているから大丈夫と漠然と考えていました。
家族みんなが認知症だなと思いながらも、病院に行こうとか介護申請しようと言い出さなかったのです。
当時、親の介護はまだまだ先のことだと思っていた私は、何をどうすればいいのか分からず、誰かがやってくれると責任を放棄していました。
きっとみんなそう思い、考えないようにしていたのだと思います。
慣れた実家で父の介護を受けていれば生活できていた母は、父の入院中、私たちが一日に一度顔を出せば一人で暮らせていました。
一度なんて冬に電気製品を同時に使ったためブレーカーが落ちてしまい、真っ暗な中私の携帯電話に電話をかけてきました。
不安と焦りでテンションが高かったけど状況の説明をしてくれて、通話しながら私が説明する場所まで移動してブレーカーを上げることもできました。
当時同じく60代だった父は、いつかは何かしなければと思っていたでしょうが、自分が面倒を見れると思って介護の申請を考えていなかったのですが、胸の痛みで病院に行くと胃に癌が見つかりました。

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治療をはじめるにあたり、入院になることは分かっていましたから母の介護申請と、食事を手配しなければなりません。
偏食の父は味気なさそうと食べなかったけど、母は何でも美味しく頂くの人なので夕食の宅配弁当を契約し、朝は適当に冷蔵庫の物を食べたり忘れたり、昼は私たちが実家に行き買うか作るかして、父の入院中をやり過ごしました。
急いで介護申請した結果は、要介護4。
母の認知症はそこまで悪かったのか!!
何度か検査をし、最終的にレビー小体型認知症と診断されましたが、初めはアルツハイマー型と言われました。
経験していないことは分からないのが当然ですが、スマホが無かった当時、私たちは本当に情報弱者でした。
何をどうすればいいか分からず、大きな困りごとがないからと母の症状を認識していながら放置していました。
もう少し早く病院に行き介護申請して父の負担を減らしてあげればよかったと後悔しています。
とはいえ、プライドが高かった母に「お母さんボケてるから病院行こう」なんて絶対言えなかっただろうし、元の母(かなりの頑固者)のままなら、病院にも行かなかったような気がします。
結果は同じだったかもしれません。
それでもね、動いたほうが良かったと後悔しているので、義父の様子がおかしいなと思ったとき、実子(夫と義妹)を言いくるめて早めの介護申請の手続きをしたのでした。
その話はそのうち。
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