スライサーという道具は、実に罪作りな存在です。
あの透き通るような大根の薄切りや、お店のようなキャベツの千切りが数秒で完成する魔法のような効率性を知ってしまうと、なかなか手放す決断ができないものです。
しかし、私はついにその「便利さ」という呪縛から逃れ、スライサーを捨てることに決めました。
きっかけは、またしても指を切ってしまったことです。
今回は深手をおってしまい、なかなか治りませんでした。
指を切ったことは一度や二度ではありません。
これまで何度も、調理の終盤で小さくなった食材を追い込みすぎては、鋭い刃に指があたってしまいました。
まぁ、キュウリのへたを切り落とさずにスライスすればいいのに、ウッカリ最初にヘタを切ってしまったことが原因なのですが。
今回、再び指先を傷つけてしまった瞬間、痛みとともに込み上げてきたのは「またやってしまった」というガッカリ感。
スライサーを手に取るたびに「今日は大丈夫だろうか」と指先に神経を尖らせ、戦々恐々としながら作業をする。
この緊張感は、果たして時短というメリットに見合うものなのだろうかと自問自答しました。
道具は生活を便利にするためにあるもので、使う人を傷つけたり、不安にさせたりするためにあるのではないはずです。
どれほど便利な道具であっても、自分の身体の安全を脅かし、心の平穏を奪うのであれば、それは私にとってそれは、必要な物ではないのだと気づきました。
今度こそスライサーを捨てようと決めたとき、
本当にいいの?人参サラダは固い人参を二本も千切りしないといけないよ?と不安でした。
が、私は思い出したのです。
私にはマルチブレンダーの千切りオプションがあるって笑
これからは、多少時間がかかっても包丁で切ればいい。
あるいは、ブレンダーを使ったり、最初から刻まれているカット野菜を活用してもいい。
スライサーでなければならない理由は、それほど多くはなかったのです!
安全を確保するための選択肢は、実はいくらでも転がっています。
「便利さ」とは、時に盲目的な執着を生みます。
このスライサーは私が結婚するとき、母が買ってくれたものでした。
今、思い返せば、母もよく指を切っていました。似たもの親子です。
今回のスライサーを捨てるという決断は、単にキッチン用品を一つ減らしたというだけではなく、
自分の無意識の執着を捨て、
怪我をしないようにするという、自分を危険にさらさないという基本的な決断でした。
指の傷が癒える頃には、私のキッチンは今より少しだけ不便かもしれないけれど、今より心おだやかに過ごせる空間になっているはずです。
はずでした。
包丁でも指は切りますよね。ええ。


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