すっかり記憶になかった卒業アルバム
片付けをはじめて家の中をよく観察するようになって、クローゼットの奥にアルバムがあることに気づきました。自分で入れたはずなのに忘れてたw
なんて感傷的な人間ではないため、見返すこともない大きな重い邪魔な物。くらいな存在だった卒業アルバム。
私の中で重要な物ではないけど、思い出のアルバムは持っておくものだという固定観念にとらわれていたようです。
片付け方を知らない人でした
私は母に、片付けろと怒られ、物を捨てるなんて勿体ないと怒られながら実家で暮らしていました。
一人暮らしを経験しないまま結婚したので、母の価値観を引きずって40歳まで捨てない生活を続けていました。
片付けてもすぐに散らかる。片付け方が分からない。自分は片付け下手だ。そんなふうに落ち込む生活は不幸です。自己肯定感ダダ下がり。
そんなときに知ったmocaさんの「お片付けノート」には衝撃を受けました。
”使わない”という理由で捨てていいんだ!(驚愕)
↑に書かれているように、私は片付けのやり方が分からない人でした。「お片付け山」の麓のさらに崖の下で上を見上げてる人だった。
だけど、いらないノート(片付いてない家には必ずあるw)に日付と捨てた物、捨てた理由を書いていくうちに要不要の判断ができるようになってきたことを実感できました。
おたま:柄が溶けてる
エコバッグ:汚れてる
食器:かけてる
かご:入れなくていい
DM:見ない
ゴミ袋(45L):1袋(たくさん出した時はまとめて書く)
理由を書くことで、どうしてこんなもの持ってたんだろう?って不思議に思うようになります。ぼんやり考えているだけだと「捨てない理由」があるように思うけど、文字にしてみるとすごくしょうもない理由だったりするんですよねw
毎日3~5個捨てながら、気分が向いたらごっそり捨てる。
片付けって頑張って時間をかけて、アッチからコッチに動かすだけだから疲れる割りにすぐ元通りってことを繰り返していたから、毎日「今日は何を捨てよう?」と見回るだけでスッキリしていく様は感動でした。
私はお片付けノートに出会わなければ、きっと今も片付けが苦手なままだったと思うと、あの時出会えて本当に良かった!
40歳を超えたら過去より未来
物を捨てることを知って、思い入れの少ない物から順に捨てるようになって、目につく不要な物はあらかた捨てた後、満を持して思い出系に手を付けることになりました。
たしか2016年ころ(41歳)。
写真を処分
まずは年賀状、次に写真を確認。
写真は楽しい思い出のものを選び、イマイチな物の中から
- 「負」の感情が湧いてくるような写真
- 同じような写真があるなら1枚だけ選ぶ
- 写りが悪い写真
- この人誰?というような人が写っている写真
- 景色だけの写真
一度に捨てるのではなく、何周も見直していくうちに写真は数十枚に絞れました。
私はくせ毛にコンプレックスがあったので、小学生から20歳くらいまでの間の写真は見たくない気持ちが大きく、その間の写真はほとんど処分してしまいました。
卒業アルバムを処分
写真を処分していくうち、小学生~の写真は要らない。見たくないという気持ちに気づくと卒業アルバム要らないなって自然に思うようになりました。
卒業アルバムを捨てるなんて!って思いにとらわれていたけど、学校では過去の卒業アルバムを保管しているらしい。どうしても見たくなったらその時に、見るために努力すればいい。
そう思えたとき、ガムテープぐるぐる巻きで可燃ごみにサクッと出せました。(アッサリ)
捨ててから7年くらい経つけど一度も見返したいと思ったことはなく、後悔したこともありません。
写真は少ないほうが大切にする
写真もたくさん捨てましたが、今のほうが見返す機会が多いです。
たくさんあると、写真を見ることに疲れてしまいそうって思うと「また今度」ってなる。
お気に入りの写真しか無ければ、書類を出したついでに「可愛かった自分w」をいつでもチラ見できます。
結婚式の写真は夫との共有だから確認していなかったけど、23年間一度も見返していない。ブログに書いたことで思い出したから確認してみたところ、前撮り写真が2セットある。両家用?何セット頼んだか覚えていないけど、きっと私のことだから実家には渡さず、自分用とウチの実家用を持っていたのではないかな?ってことは義実家に1冊ありそうですね…(恥ずかしいので証拠隠滅したいw)
今回はまず、2セットあるうちの1冊と写真数枚(アルバムに入れる候補の写真?)を捨てました。
アルバムは加水分解してネチネチしてるから捨ててしまいたい衝動が湧いたけど、夫と話し合ってとっておく写真を選ぶことにします。
お読みいただきありがとうございました!
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